アメリカで卵巣がん/卵管がんと向き合う

マサチューセッツ州西部での卵巣がん/卵管がんとの闘病生活を綴る

全摘出術後 2日目

2021年 5月18日


夜中の3時、大きなテレビの音声で目が覚める。カーテンで仕切られた隣の入院患者が大きな音でテレビを見ている。


夜中の3時だよ❓ しかも、何故イヤフォンでなく、大きな音で見る??


あまりにイライラして、大きく何度も溜息をついてみたりするが(←小心者)、全く気付いてくれる様子は無し。しょうがないのでそのまま起きていた。


朝ごはんは勿論まだ液体のものばかり。ブロスのスープやアップルソース。食欲は全く無いし、便を催すのが嫌で何も食べず。尿は管が入っているので、水分だけはしっかり取る。


朝ごはんの後、回復を促すために、早速起きて歩くことを勧められる。
体格のいい、アシスタントの男性が起き上がるのを手助けしてくれが、痛みですぐに息が上がってしまう。頑張って歩くが、部屋の中を10歩ほど歩くのが精いっぱい。


私の手術に立ち会ったという、見習いの産婦人科の若い女医さんが様子を見に来てくれた。
リハビリのアシスタントの男性からかなりプレッシャーをかけられて、痛みと悔しさで泣きながら、まだ歩けない事を訴えると、寝ている私の目線にしゃがんで、「まだ大丈夫よ」と優しく励ましてくれた。
このまま、この患者に寄り添う気持ちを忘れずに、いいお医者さんになって欲しいな~。


面会時間の午後12時を待って夫が部屋に入ってきた。やっぱり夫の顔を見ると安心して気が緩む。どれだけ夫に精神的に頼ってるのを実感する。


今度は夫もリハビリに同行。かなり痛みが辛かったけど、夫の手前、頑張らなくては! 夫とアシスタントの人に挟まれた状態で、部屋を出て、廊下のナースステーションを目指して歩く。


突然❗、夢を見ていた状態からふと目が覚めた。目が覚めて、自分がどこにいるのか理解するまでちょっと時間がかかった。


どうやら、歩いてる途中で意識を失ってしまったらしい💦
幸いにも支えてくれていた両脇の二人にすぐに車椅子に乗せられていた。


意識を失った原因は、脊髄麻酔による血圧の急な低下によるものらしく、あっけなくここで脊髄麻酔を抜かれてしまった😥


ここから、痛みとの戦いが始まる。
麻薬系の強い痛み止めは飲みたくなかった(すごい便秘になる)ので、薬局でも買えるタイラノールのみ。これが6時間おきにしか貰えない。
効き始めて2~3時間はいいのだけど、4時間過ぎたくらいからどんどん痛みが増してくる。
ひたすら時間が過ぎるのを待って、6時間近くになって、早めに看護婦さんにお願いするも、その日の担当の看護婦さん、❌ 何度呼んでも来てくれない💢
1時間以上経って、やっとちょこっと顔を出して、痛み止めをお願いして、実際に持ってきてくれるまでさらに1時間以上…。
痛すぎて神経が敏感になってるようで、夫に腕を触られるのも痛い。
この看護婦さんが担当の間(2日間)、すっとこの調子😡


そんな中、カーテン越しのお隣さんが、今度は凄い音量で、携帯の音楽を鳴らしている。
恐らく私の唸り声が耳障りだったのだろう。その時の私の精神状態ではその音量がどうしても耐えきれなかったので、


「お願いだから音を下げて❗」と思わず怒鳴ってしまった💦


家族(夫と子供たち)以外の誰かに怒鳴ったの、人生で2回目だ😅


この後、お隣さん、すぐに音量を下げてくれて、それ以降、照明やテレビの音などに結構気を使ってくれるようになった。

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